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根深い日本共産党の暴力革命論

 

日本共産党の暴力革命論は根深いものがあります。

特に長い間にわたって日本共産党を指導してきて、現在も党中央委員会常任幹部会委員で、党付属社会科学研究所所長として日本共産党に君臨している不破哲三氏は、強固に暴力革命を放棄するべきでないことを訴えています。そして、それはマルクスの教えであると、マルクスの著作を引用しながら正当化しています。

 

彼は、暴力革命を「強力革命」と呼び換え、いざとなったら武装蜂起するべきことを主張しています。そして、何が何でも武力革命を否定しない方針です。

 

不破哲三氏の前に長期間、日本共産党を指導してきた宮本顕治氏も平和革命一元論を否定していました。

 

共産主義は、レーニンの著作である『国家と革命』を大切にし、権力を握ることを最重要課題と考えています。そのために、目的のためには手段を選ばないといった考え方が生まれます。

 

武力による強力革命は、不破哲三氏が講師を務め、大きく日本共産党で宣伝されている綱領・古典教室、理論活動教室でも教えられています。

 

不破哲三氏は、敵(資本、大企業、地主など)が簡単に権力を放棄するはずがなく、共産主義勢力に権力を奪われそうになったら、暴力で共産主義勢力の鎮圧を行うに決まっているから、そうしたらこちらも武装蜂起するべきことを訴えています。

 

それどころか、もっと、あけすけに、敵の側に先に暴力をふるわせよ、そうしたら待ってましたとばかりにこちらも武装蜂起すると訴えています。

 

以下は、日本共産党のウェッブサイトからの引用です。

 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-26/2012012609_01_0.html

 

 テキストに戻り、当面するドイツ革命をエンゲルスがどう展望していたのかに話を進めました。

 

 ドイツは、多数者革命の最先端に立ってきた国です。1871年の選挙では10万余票だった社会民主党の得票が、1893年には178万票に伸び、議会で相当な力を持つようになっていました。有権者の過半数の支持を得ることも現実性を帯びていました。「ドイツの党はきたるべき革命をどう迎えるべきか、エンゲルスは、遺言の形で教えようと書いています」

 

 エンゲルスは、200万人を超える支持者と、選挙権のない青年、女性を決定的な「強力部隊」(ゲヴァルト・ハウフェン)という言葉で表現。当時のドイツは、議会で多数派になっても政権は握れませんでしたが、政府の出す法案を通せなくなります。そうなれば「決戦」がくると予想しました。その決戦にどう備えるか。エンゲルスは、こう助言します。

 

 ――われわれ「革命家」「転覆者」は、非合法手段を用いるときより、合法手段を用いるときのほうが威勢よくさかえる。先走って事を起こしてはならない。支配者に「合法性」を破らせよ。支配者は弾圧法をつくり、やがてあらゆるルールをやぶって無法な攻撃に出てくる。そのときには、支配者が人民との契約を破棄したことになり、人民が武力反撃に出るのを誰も非難することができなくなる。軍隊が反乱の権利を持つ。

 

以下は、Wikipedia暴力革命からの引用です。ここにも、日本共産党が暴力革命を放棄していないことが明記されています。

 

1950年代の日本共産党

 

コミンフォルム批判と武装闘争の開始

 

19501月、コミンフォルムは機関紙において日本共産党が進めていた「占領下の革命」論(平和革命論)を批判した。そのため党内では批判に反論する所感派と、批判を受け入れる国際派などに分裂する事態が起こった。朝鮮戦争勃発後の1951223日、当時主流派だった所感派は第4回全国協議会(四全協)において武装闘争路線をとることを決定した。

 

その後、コミンフォルムによる分派認定を受けた国際派が(当時の共産主義運動は国際的に一つに結束しており、コミンフォルムから分派と認定されると共産党としての正統性を失う状況にあった)自己批判することで統一を回復し、その直後に直後に開催された第5回全国協議会(五全協)において、農村部でのゲリラ戦を規定した「51年綱領」が採択された。

 

しかし、1952年の血のメーデー事件の直後の衆議院議員選挙で、全議席を喪失するなど、国民が暴力革命を望んでいないことは明らかであった。また同年には破壊活動防止法(破防法)が制定されて日本共産党が主要な調査・監視対象にされるなど、非常に不利な状況に立たされた。

 

武装闘争路線の放棄

 

1953年に朝鮮戦争が終結、主流派所感派のリーダーであった徳田球一が死去すると、1955年に開催された日本共産党第6回全国協議会(六全協)において、日本共産党の武装闘争路線の放棄が決議された。 これを不満とする党員が、新左翼(共産党はニセ「左翼」暴力集団と呼ぶ)結成へと動いた。

 

ここで否定されたのはこれまで行ってきた武装闘争路線の放棄であり、暴力革命そのものを否定しているわけではない。敵の出方論により内外の反動勢力(権力や右翼など)がクーデターなど非平和的な手段に訴えない限り、政治暴力は行使しない、というものである。また宮本顕治によって平和革命一元論が否定されている。

 

この事などが、現在でもなお破壊活動防止法による調査対象団体に日本共産党が含まれる理由となっている。