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スターリンの富農撲滅運動とマルクス主義の原則


『悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉 スターリンの農業集団化と飢餓テロ』より

ロバート・コンクエスト著 白石治朗訳 恵雅堂出版

 

2006年11月28日ウクライナ議会は、1933年の大飢饉を「ソ連によるウクライナ人民に対するジェノサイド」と認定する法案を賛成多数で可決

 

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富農撲滅運動とは殺戮を意味した。あるいは数百万人の農民をその家族ぐるみ北極圏に強制移住させることであった。彼らは、原則としては富裕な農民とされたが、実際には最も影響力の強い、そして党の方針に最も反抗的な農民たちのことであった。

農業集団化とは土地の私有を効果的に廃止し、その農民を党の指導によって「集団農場(コルホーズ)」に集めることであった。この二つの措置によって数百万人の農民の命が奪われることになった。とくに追放された人々のなかで多くの死者がでたが、カザフスタンのような強制移住者のいない地域でも死者はでていた。

 

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共産主義革命は、あらゆる階級と民族を潰し、そしてできた一つの階級によって成就される。マルクスとエンゲルス

 

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マルクス主義によると、未来のなによりの発展は、新たな(彼の時代の)労働者「階級」と産業の支配者である資本家との対決からくるものであった。進歩した社会ならどこでも、さらに進歩すれば一層そうなるが、国民は主としてこの二つの階級に統合されてゆく。ただ、この両者のあいだにはとくに農民を含む中間的な存在、あるいは「プチ・ブルジョアジー」が存在し、一部のものはプロレタリアート化されてプロレタリアートになり、また、自分の私有財産に愛着をもつものは資本家になってゆくはずであった。

 

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マルクス主義用語によって(富農ならぬ)農民を分析したレーニンの一般的な立場は、きわめて明白である。「農民は土地を所有し、かつ労働者である。彼は、他の労働者を搾取しない。彼は、何年も大変な困難に耐えて自分を守らねばならなかった。地主と資本家の搾取に苦しめられ、すべてを我慢してきた。それでも彼は、土地所有者である。こんなわけであるから、階級論のとり扱いは、なかなか厄介な問題だ。」

 

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社会主義の利益は、民族自決の権利より利益よりも重要である。レーニン

 

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「プロレタリアートは国家をもたない」という厳しいマルクス主義の原則にたてば、独立国家というものは意味をなさない。実際、マルクスとエンゲルスは、『ドイツ・イデオロギー』においてプロレタリア階級を「社会のなかのあらゆる階級や民族が解体してできるもの」と表現している。

レーニンは、1916年、「社会主義の目的は、人類を現在のように小さな国家に分割し、孤立させるようなことをやめ、各国をもっと密接に結びつけるだけでなく、それらを統合することにある」と明言している。

しかし彼はまた、1914年、「われわれが民族自決の権利をプログラムの一項目としているのは、まさにロシアとその近隣諸国がこうした時代を通過しつつあるからだ」とも書いている。

レーニンは、はっきりした定義づけのできない過渡期にも民族的野心が存在しつづけることを認め、それをどのように利用すべきか考えていた。

レーニンの賛意を得たスターリンの主要な論文「マルクス主義と民族および植民問題」より「民族自決権が、他の、より高い権利、自らの権力を強めるために政権の座についた労働者階級の権利と矛盾する場合がある。このような場合、遠慮なくいうべきであるが、民族自決権が、独裁政権にたいして自らの権利を主張することによって労働者階級の障害になってはならないし、またなることもできない。」

 

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1930年の『ソヴィエト小百科事典』によると、アメリカ救済委員会は、「慈善活動をおこなうという口実の下で」実際はアメリカ国内における生産の危機を軽減しようとしたのだという。さらに、1950年代の『ソヴィエト大百科事典』(第二版)になると、アメリカ救済委員会は「スパイ活動をおこない、反革命分子を支援するためにその機関を利用したのであり、アメリカ救済委員会の反革命活動は、幅広い労働者層に激しい抗議をひきおこした」と書いている。そして、最新の第三版(1970年)によると、アメリカ救済委員会は、「飢餓との闘争においてある種の援助をおこなったが」、しかし同時にアメリカの指導者たちは、その援助を「反革命分子とサボタージュ、スパイ活動を支援するために」利用したのだという。

 

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さらに衝撃的な、少なくとも一層重要なスターリニズムの精神病理学的な側面は、飢餓にかんすることばを新聞やその他の一切の報道に書くことが許されなかった事実であろう。飢餓に言及した人は、反ソ的プロパガンダの科で逮捕され、ふつうは五年かそれ以上、強制収容所に送られた。

 

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ウクライナ文化にたいする打撃の大きさは、単なる数字にもみられる。ある計算によると、ウクライナにおける240人の著述家のうち200人が消えていなくなった(別の数字では、246人のうち204人がいなくなった)。言語学の分野の84人の指導者のうち62人が粛清された。

 

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『ソヴィエト大百科事典』には「ジェノサイド」の項目があり、その意味を「滅びゆく帝国主義の申し子」と説明している。

 

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国家の犬にされる子供たち

子供たちは、実際、畑で監視役をつとめるために動員された。ポーストィシェフがいうには、50万人以上の子どもが、「泥棒」、つまり僅かな穀物を隠そうとする農民と闘っていた。

 

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私の結論は、どんな場合でも、正確でたしかな数字、あるいは十分に控えめな推定をもとにしてきた。したがって、およそ1400万人のさまざまな農民が、本書で述べてきたような出来事によって死亡したと結論しても、なお私は控えめであると言える。

農民の死亡者、1930年から37年  1100万人

この時期に逮捕され、その後、強制収容所で死亡した者 350万人

合計 1450万人

この合計のうち、

富農撲滅運動で死亡した者 650万人

カザフ人の悲劇で死亡した者 100万人

1932~33年の飢餓で死亡した者 700万人

ウクライナにおけるもの 500万人

北カフカースにおけるもの 100万人

その他の地域におけるもの 100万人