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☆宮本顕治は50年問題の最初、GHQの公職追放令についていた「出頭命令」に応じて警察に出頭したとのこと

六月六日、GHQは、日本共産党の24人の党中央委員全員を公職追放に処した。
公職追放令には、「出頭命令」がついており、地下潜行の徳田派9人はもとより応じていない。残った幹部も、これを拒否するものと、「ただちに出頭に応ずる態度をとった中央委員」とに意見がわかれて、結局、出頭に応じた政治局員は宮本と志賀だけで、宮本はご丁寧にも「特審局にて」という写真を読売新聞に掲載させたという。「私は、いろいろの点で、地下に潜るということはかえって追及の口実をあたえるなど、活動上かえって大局的に得策でないと判断した」と、宮本選集第三巻あとがきに書いた。

ちなみに、同じあとがきには
「私は、この「公職追放」の発表を九州でうけた。私は、第六回党大会(1947年)で選出された日本共産党中央委員会であり、政治局員であり、中央委員と統制委員とを兼ねたただ一人の役員として統制委員会議長だったが、党機関の決定で、「地方党組織の指導にあたる」ということで、1950年の一月末からずっと九州に派遣されていた。私は、「公職追放」の発表後、すぐ上京して、政治局としての統一した方針の決定されることをのぞんで、すぐ党本部にも出向いて努力したが、それは、すでに政治局員の多くとは連絡がとれず、実現できなかった。